2013年1月21日月曜日

ビギナーズ・クラシックス日本の古典 平家物語


新・平家物語は幾つもの古典を原典にしている。
平家物語に限らず、義経記、源平盛衰記、義仲記、吾妻鏡、保元物語、玉葉など、様々な立場に置かれた人々が書いた記録・回想などを吉川英治が一手に引き受けて物語として紡ぎ出したもの。
だから、新・平家物語を読み進めるのに多大な時間を費やした。
2009年以来わずか3年で読み返したのは2012年の大河ドラマが「清盛」だったことがそもそもの動機。
それに加えて完全には平家物語のエピソードを理解しているわけではない、ということ。
歌舞伎にせよ、能にせよ、芸能の多くに由来する物語が多いのに、知らないままでいるのはもったいないことだ。
期待に反して大河ドラマは史上最低の視聴率で推移し、悪いニュースばかりが先行したがたためにドラマの内容もフラフラして筋がグチャグチャになってしまったような印象
従って中盤以降は殆ど視聴することがなく、2012年の半分を平家物語に費やしたことを「なんだかなぁ」と感じている自分がいる。
それでも思う。
2009年初めて新・平家物語を読んだとき、原典の「平家物語」を読んでみたかったのだ。
だから、絶好の機会だったんだろうと、いつか人生を振り返る日が来れば好意的に思い出すことだろう、と。

こうしてビギナーズクラシックを手にとって、声に出して読んでみた(だって、そうしなさいって編集者が書いているんだもん)
念仏みたいで夜に読むと不気味な感は否めないし、文語体の文章を二十数年ぶりに読んでも「噛みまくる噛みまくる」(笑)
だけど、声に出して読むって清々しい気分になれるし、文章が言いたいことは何なんだ?って真摯に考えた。

平家物語は中学でも高校でも習った。
中学の国語の授業で「祇園精舎の鐘の声」から始まる基本のキを学んだ時、「あ、そんなもんだろうな」という感想のみでそこには感激だとか感情移入といったものとは無縁だった。
社会人になり、様々な企業や人びとが栄えては衰えていくことを目の当たりにしてつくづく思うのとは別にして。
テストに出るから無理矢理にでも覚えていただけ、「古典で学ぶ文法なんてなんて無意味なものだろう」と思いながら。

時が下って高校の古典で学んだ「敦盛」
音感、リズム、テンポが心地良いこと。
心地良いばかりの音感に反して物語の哀れさ。
討たれる敦盛の哀れさ。
そして、子供と同じような年齢の貴公子の首を取る「もののふ」の哀れさ。
この哀れさは例えようもなく日本人の心を揺さぶる。
新・平家物語では早々に熊谷次郎直実が登場する、敦盛を討つまでに伏線が張られていて、「知っていて読む楽しみ」を得られた。

こうして、この原典を読んでみて思うこと。
敦盛の衣装が書かれていることから、平家物語は当時のファッション雑誌であったのだろうということ
練貫の鶴縫うたる直垂、萌葱匂の鎧、金作りの太刀、葦毛なる馬、金覆輪の鞍。
写真はおろか、絵ですらも(画材や塗料が高価だった)時代に、如何にして文字で彩りを伝えるか、ということにこの平家物語ほど瞼の裏で色を感じさせる文章はないだろう。

次に感じるのが旅行記的な要素
○○(土地)の××(名前)の名乗りは、文字にすることで郷土自慢もあるけど、土地の出身者が来れば「ああ、あの○○の!」と訪れた地の人らへの、故郷紹介または旅行記のようなものだったのでは?ということ。
観光で旅行に行く時代ではないのだし、土地のことを語るだけで「るるぶ」のように感じながら聴いていたんだろうなぁ、ということ。


平家物語は誰が執筆したのか?という考察がこの本の巻末でも語られている。
けれど、こうして眺めて思うのは、「平家物語の成立したのは1つのルートではなく、複数のそれも幾つもの糸が寄り合わさって綱になるようにして出来上がったのでは」
巻の二が祇王のことなのは、平家滅亡直後に源氏を礼賛するための阿諛として書かれた。
とにかく、清盛を悪者に仕立て上げなければならなかった源氏・北条氏は、ありとあらゆる清盛に関するマイナスな風聞・過去を暴き出していった。
それは栄華を究めたスターが凋落し始めると途端に栄華時代に笑い事で済ましていたことを大事件のようにまくし立てる芸能ニュースを思い起こしてみれば分かりやすい。

だが、次第に時が経過し、政権が確固たるものになればなるほど、懐古主義が蔓延し、清盛を褒め出した。
法然・親鸞らの布教が奏功し仏教が定着していく中で、救済に目を向けた僧侶たちが琵琶法師という修行増を駒にして平家を担ぎ、浄化させていく究極が灌頂の巻
そんな考察をしてみた。

古典は原典を読むことはとても大切なんだな、と感じ入った。
ずっと無縁の源氏物語にも手をだしてみようと思っている(本当に手に取る日が来るかどうかは自信はないけれど)







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